コラム:ウイルスの遺伝子研究から始まった植物病理学の道 (東北大学 高橋 英樹氏)
・植物病理学との出会い
私が植物病理学と出会ったのは、今から約45年も前の学部学生の必修科目の講義でした。ここでは「その時の講義の内容に感銘を受け、植物病理学の魅力に引き込まれました。」とその時を振り返って書くべきところかもしれませんが、事実はそうではありません。植物病理学以外の科目にも魅力的な講義はたくさんあり、私の中では単純に、植物病理学は自らの知的興味を掻き立ててくれる学問分野の一つでしかありませんでした。一方で、当時の私にとって、大学での講義の内容は難解でわかりにくく、時に十分には整理されておらず、学生に対して講義内容を理解させるよう配慮されているとは言い難いものでした。むしろ、教員の気の向くまま専門分野について熱く語るようなものであったと記憶しています。しかし、私はその難解かつ勝手気ままな講義をよく理解できずに聴講するだけで、「大学生になったのだ」という僅かな興奮と不思議な満足感に酔っていたことを、今でもよく覚えています。当時はインターネットもない時代ですから、授業をきっかけに興味を持ったことや湧いて来た疑問は、図書館に行って本や総説を調べる以外に解決の方法がありませんでした。時には、それらの書物に書かれていることと、講義内容が一致していないこともあり、教員を困らせてやろうという不純な動機も加わって、そのことを次の授業で教員に質問をしてみることに、密かな楽しみを覚えるようにもなりました。今にして思えば、生意気で礼儀を弁えないけしからん学生であったわけです。
そういった日々を過ごしている中で興味を持ったのが、「生物機械論*1」でした。生命体は、DNAやタンパク質といった生体物質が複雑かつ精密に寄せ集まることによって出来上がっているという考え方です。現在では、生命は単に部品を寄せ集めて作られた「もの」というだけではなく、時の流れの中で外部との絶え間ない物質・エネルギー・情報の交換を行い続ける「こと」としても捉えられているようですが、とにかく生命と遺伝子という言葉は、当時の私にとって大きな衝撃を与えるトピックであり、私の心をワクワクさせてくれる存在でした。その生命と遺伝子について書かれた書籍の中にしばしば登場したのが、極めて小さなゲノム核酸をもつウイルスです。当時は、バクテリオファージ*2やSV40*3などの動物ウイルスが、遺伝子研究のモデルとして用いられていました。遺伝子とは何かが知りたいのでウイルスを研究してみたいと思い周囲を見渡したところ、植物病理学研究室でウイルスの研究ができることがわかりました。今思うと、これが植物病理学の世界に足を踏み入れたきっかけだったと思います。今では、真核生物の全ゲノム塩基配列が次々と解読され、比較ゲノム解析*4から様々な知見が明らかになりつつあるゲノム科学全盛の時代ですので、遺伝子のモデルがウイルスという話は滑稽に感じるかもしれませんが、それが当時の状況でした。
研究室に所属して指導教員からいただいたテーマに取り組み、植物病理学がどんどん好きになりました。時には、指導教員の助言に従わずに自分なりのアイデアで実験を行い、面白い結果が得られたときの喜びを経験しました。やがて気付けば、私の興味は「遺伝子研究モデルとしてのウイルス」から「病原体(ウイルスや菌類や細菌)と植物の攻防の分子機構」に移っており、かくして私の心の中に、植物病理学とは切っても切れない関係が成立したわけです。
・キュウリモザイクウイルスの研究

振り返ってみますと、私の研究の主な対象は、キュウリモザイクウイルス(CMV)と宿主植物(主にシロイヌナズナやタバコ)との相互作用についてであったと言えます。CMVに特別なこだわりがあったわけではありませんが、良し悪しは別として植物病理学の世界では、研究対象とする病原体によって何となく研究者(研究室)の棲み分けがなされていたように感じていたため、たまたま職を得た研究室の中心テーマであったCMVを研究することになりました。今にして思えは、CMVは非常に宿主範囲が広く(=いろいろな宿主植物を研究材料として用いることができ)、病原性が異なる様々な系統が存在する(=病原性が強いものから弱いものまで)ことから、ウイルス-宿主植物の相互作用を研究する上で適していたのだと思います。
現在では、ウイルス-宿主植物の分子レベルでの研究をテーマとされている研究者はたくさんおられると思いますが、私が研究を始めた頃には、ウイルスゲノム構造の解析やウイルスゲノム上にコードされているタンパク質の機能解析が盛んに行われていました。また、ウイルスの複製や細胞間移行に関する研究も人気のあるトピックでした。そのような状況の中で、私は他の人があまり手を付けていないところを選んで自身の研究テーマとしてきたわけです。ウイルス-宿主植物の視点からのアプローチは一貫していますが、研究対象とする現象は、はじめはCMV感染による病徴の発現、次にCMV感染に対する宿主植物の抵抗性、そして現在はCMVの潜伏感染へと移行しています。潜伏感染とは、ウイルスは宿主植物に感染しているが、病気を発症してはいない現象のことです。CMVが自然界において病気を引き起こさずに宿主植物に感染していることに意義はあるのか、あるとすればそれは何なのか?コロナ禍において、ウイルスの存在は世界中の注目を集めました。おそらく植物、動物、菌類や細菌などの微生物などの全ての生物に対して、それらの生物に感染するウイルスが存在するのではないかと考えられています。もしかしたら、私たちがみている病原体としてのウイルスは、本来のウイルスの姿の一つの側面に過ぎないのかもしれません。ウイルスが持っているかもしれない未知の存在意義にワクワクしながら、現在も研究を継続しています。
・おわりにかえて ―研究者を目指す高校生のみなさんへのメッセージ―
仕事とはいえ、植物病理学の研究を自由に継続できていることは、幸運以外の何物でもないと思っています。なぜなら、学生時代に生命や遺伝子について抱いたワクワク感を、ひとかけらとはいえ今でも感じ続けているからです。植物病理学に限らずどの研究分野においても、研究は未知との遭遇であり、真実を探す冒険であり、自身の努力により見出された新しい発見はきっとあなたの知的好奇心を満たしてくれるはずです。もしあなたが、「わからないことがつい気になってしまう」、「理論的に考えるのが好き」、「見出された答え(理論)の美しさに感動を覚える」ならば、ご自身の将来の選択肢の中に研究者を加えてみてはいかがでしょうか?
用語説明
*1, 生物機械論
生命現象を物理的・化学的法則で説明する考え方で、17世紀にデカルトが提唱した。デカルトは動物を機械のように見なし、その動きや反応が物理的原因で説明できると考えた。反対の考え方として、生命には物質には還元できない特別な力があると主張する生気論がある。
*2. バクテリオファージ
細菌に感染するウイルスの総称。細菌に吸着し、遺伝子を注入して増殖し、細菌を溶かして死滅させる。1915年に発見され、遺伝子研究や抗菌剤の開発に重要な役割を果たした。
*3. SV40
Simian Virus 40 (SV40) は、サルのポリオーマウイルスの一種で、1950年代に発見されたDNAウイルスであり、細胞の増殖やがん化に関与することが知られている。分子生物学の研究において重要なモデルウイルスとして利用されている。
*4. 比較ゲノム解析
異なる生物のゲノムを比較して、進化的関係や遺伝子機能の違いを明らかにする手法。これにより、保存されている遺伝子や調節領域を特定し、進化の過程や生物の機能を理解する。コンピュータ解析を用いて、DNA配列の相同性や遺伝子の順序、調節配列などを比較し、生物間の共通点や相違点を視覚化する。
プロフィール(掲載時現在)

高橋 英樹
国立大学法人東北大学 農学研究科 教授
昭和58年より日本植物病理学会会員
平成8年度-11年度 幹事
令和4年度-5年度 編集委員長
令和2年度-現在 理事
令和6年度 副会長