対談:「植物病理学は明日の君を願う」作者 竹良実先生(前編)
(一部漫画のネタバレを含みますのでご注意ください)
2024年9月、日本植物病理学会は、ビッグコミックスピリッツ(小学館)で「植物病理学は明日の君を願う」を連載中の竹良実先生に、植物病理学の普及への貢献に対する感謝状を贈呈しました。賞状の贈呈に続いて学会役員・委員との対談を行いましたので、その模様を2回に分けて掲載します。
出席者:竹良先生、山内副編集長(小学館)、一瀬会長(岡山大学)、染谷幹事長(農研機構)、藤川広報委員長(農研機構)、晝間広報委員(東京大学)、石橋広報委員(農研機構)
(一瀬) 植物病理学は、植物を病気から守る学問ですが、残念ながら多くの人にはあまり知られていない分野です。特に若い方々にとっては馴染みが薄いかもしれません。そんな中、竹良先生がこのような本を出版され、多くの人々の関心を引いてくださることを学会として非常に嬉しく思っています。
(竹良先生) この度は、このような感謝状をいただきまして、本当にありがとうございます。私自身、植物を育てるのが好きという趣味から、植物病理学にも興味を持つようになりました。当初は、物語として成立するか不安でしたし、受け入れられるかどうかも心配でした。しかし、晝間先生に監修していただけることが決まり、非常に心強く、安心しました。その時のことは今でもよく覚えています。
岩手県の岩舘さんをはじめ、さまざまな方に助けていただきながら物語を作り上げることができ、1話目の公開後には多くの研究者の方から温かい反応をいただきました。これからも皆さんのお力を借りながら描いていきたいと思っています。どうぞよろしくお願いします。
(山内副編集長) 植物病理学の研究に携わっている様々な方に取材させていただいていますが、中高生のお子さんがいらっしゃる方から「この本を読んで初めてお母さんの仕事を知ることができてかっこいいと思った」と言われたとか、「将来この職業に就きたい」と言ってくださっているとご感想をいただくこともあり、私たちもいつも励まされております。ありがとうございます。本当に、皆様のお力添えがなければ作れない漫画なので、今後ともよろしくお願いします。
(藤川) では、皆さんたくさんお話ししたいことがあると思うので、対談の形で進めましょう。こちらから質問させていただいてもよろしいでしょうか。
(一瀬) 第1巻でまずカンキツグリーニング病*1が登場したことに驚きました。
(藤川) 業界の関係者が皆驚いたそうです。私自身カンキツグリーニング病の研究をしているのでとてもインパクトがありました。
(山内副編集長) なぜこの病気から始めたのか、ということですか。
(藤川) そう、数多ある、1万以上ある病気の中からなぜこれをチョイスしたのか、ずっと聞いてみたかったんです。
(竹良先生) 果樹は、一度病気にかかってしまうと、長年の努力が台無しになってしまうので、衝撃が伝わりやすいという点で、果物の病気を取り上げたいと思いました。特にカンキツグリーニング病は、現在は南西諸島でしか発生していませんが、もし静岡などに広がった場合には大変な事態になるという危機感があり、この病気を選びました。
(藤川) そうなんですね。私が第1話の掲載されている雑誌を買った時、周りのグリーニング病の研究者やミカンキジラミの研究者たちもみんな購入していました。沖縄や奄美に行った際には、県や役場の方々にこの漫画の話をしたことがあります。そこから多くの人が関心を持ってくれたのは、実感として感じました。
(山内副編集長) みんなが必ず口にしているものを連載第1話で描きたいと竹良先生が当時おっしゃって、ミカンの病気になりました。植物病理学は自分たちの生活と密接に関わっている職業なんだというところからでしたよね。
(藤川) 専門は、一瀬会長はバクテリアで、私も一応バクテリアですけれど、染谷幹事長は生物農薬、晝間さんが糸状菌で、石橋さんがウイルス。いろいろな研究対象があって、そうなるとみんな自分の扱っている病原体を漫画に登場させてほしい、と考えてしまいますね。
(一同笑)
(藤川) 次にどの病原体が登場するのか、我々研究者にとっても、学生にとっても興味が尽きません。一瀬会長の大学でも、学生が読まれているんですか?
(一瀬) 私が研究室に置いています。
(竹良先生) ありがとうございます!
(一瀬) 病気を選ぶセンスが素晴らしいですね。基腐病*2のように、まだ教科書にあまり載っていないような病気を取り上げることで、今現場での課題が漫画を通して共有されるのは、本当に意義深いです。
それがネット販売で拡がるという、あれもすごくびっくりしました。苗とか、果実とかを安易に売買することの危険性を取り上げていただいて、教育的な内容が伝わっていると思います。
(山内副編集長) 特に若い方は、通販でたいていのものは買えるのが当たり前になっていますよね。でもそこには危ない側面もあるということも、漫画だと視覚的に記憶に残りやすいと思います。
(藤川) カミキリムシも見た目が綺麗だからと言って、勝手に増やして販売しているのを見かけますけど、カミキリムシって基本害虫ですから、逃げて問題になっているという話も聞くことがあります。そういう、あまり普段ニュースにはならないことを読者の方が知っていく良い機会になるというのは本当に思います。
(竹良先生) 今後は、植物検疫*3に関する話も取り上げる予定です。
(山内副編集長) ちょうどそういうエピソードをやりたいねっていう話から、農林水産省さんにご取材に伺い、植物検疫のポスター制作に協力させていただきました。2024年9月下旬くらいから空港やフェリーのターミナルなどに貼られると思います。ポスターは全部で4種類あります。
(藤川) どんどん広がっていきますね。
(山内副編集長) 植物病理学はすごく奥が深い分野なので、ネタが尽きないですよね。
(竹良先生) いくらでも描けそうです。
(藤川) 植物の病気を扱ってくださっているので、我々関係者は舞い上がってしまっているけど、困っている人がいて、その課題を解決していく物語として、一人の漫画好きな読者として読み入ってしまいます。
理系の大学生はもちろんですが、個人的にはもっと若い世代に読んでほしいです。
(竹良先生) そうですね。中高生の方にも読んでもらえるような漫画にしたいなと思っています。
(一瀬) 大学生レベルでもとても勉強になることが書いてあるので、大学図書館に入れたという話も聞きます。
(石橋) 主人公の叶木先生は博識なんですけど、必ずしもスーパーヒーローの活躍する物語というわけではなくて、研究は人が担っているものであって、そこにヒューマンドラマが描かれているのがとても印象的です。
(竹良先生) 生物系の学問って、思った通りに行かないことが結構あるという話を聞いたので、その粘り強さとか諦めなさとか行動力みたいなのが大事なのかなと思って、そういうところを反映させています。描いていても、試行錯誤する過程とか、圃場を這いつくばって調べたりとか、そういうところが楽しい。
(藤川) 小学校とか中学校で出前授業をやることがあるんですけど、子供たちが育てているトマトとかキュウリとか結構病気になっているんですよね。自分が子供の時には全く気にしていなかったんだけど、今の子どもたち、植物の病気結構知っているんです。
(竹良先生) そうなんですか。
(藤川) きゅうりのうどんこ*4でしょ。とか言って。
(竹良先生) えー、すごい。どういうところで知るんだろう。
(藤川) 漫画の効果もあるかもしれませんし、今後植物病理学に興味をもってくれる人がどんどん増えてくれると嬉しいです。
(山内副編集長) この連載を始める前に、好きなものを題材にしましょうとご相談して、植物になりました。でも植物を漫画にする際に、エンターテイメント性があり、読者の方々と地続きの物語にしたかった。その時に、植物って人間の命に直結しているなというのが見えてきたんです。ジャガイモや小麦が全滅したらどうなるのか。私たちの食べ物もそうですけど、畜産にも関わることですし、社会と密接に関わるお仕事だなっていうところに感動を覚えて、これで行こうとなりました。
(竹良先生) 最初はお花屋さんの話を考えていたんです。
(山内副編集長) そこからどう主人公を作ろうかというところで、植物病理学に出会って光が見えたんですよね。
(竹良先生) 山内さんと打ち合わせをしながら植物のお医者さんみたいな職業ってないのかなって。樹木医は聞いたことがあったんですけど。調べると植物病理学というのが出てきて、これだって。
(藤川) 我々は、(研究の対象として)どうして植物病理学の世界に入ったのか、その動機は様々です。
(竹良先生) すごくそれは知りたいです。
(一瀬) 大学に入るまで植物病理っていう名前は知りませんでした。学科の中で、研究室が6つあって、たまたまクラブの先輩の勧めで植物病理学研究室に入りました。
(山内副編集長) ですよね。中高生の時に知らないですもんね。
(竹良先生) 元々農学部に入ろうと思ったのはどうしてですか。
(一瀬) 中学の時の先生がたまたま農学部出身で、その先生の影響です。
(竹良先生) では、植物病理学の道を選んでから、その面白さにだんだん気づいていたっていうことなんですね。ずっと細菌病を研究されてきたんですか?
(一瀬) 植物病原菌が、特定の植物に対して病原性を発揮するけれど、他の植物に対しては感染できないという特異性があるんです。2つの生物間の相互作用が関わる現象になってくるので、それが面白くて研究を続けてきました。
(竹良先生) 生物系の学問って、キリンが好きでキリンの学者さんになったとか、そういうイメージですけど、植物病理学は「この特定の生き物が好き」というのとは少し違って、生き物同士の関係性なのが面白いですよね。
(藤川) 虫の研究者やキノコの研究者は子供の頃からの好きが高じてという方が多いように思います。一方、植物の病気を見て美しいとか集めたいっていう人はあまりいないですし、明らかに農業上悪いものなので、忌避されるきらいがあると思うんです。だからこそ、植物、特に作物の病害を解決するための研究というのが植物病理学の研究者にとっては大きなミッションとなっています。
(石橋) 科学として面白い点ももちろんたくさんあって、植物と病原体の戦いって、白兵戦ばっかりじゃなくて、飛び道具を使ったり、囮を使ったり、巧妙な戦略が両方にあって、しかもそれがその場限りじゃなくて、長年進化を続けている。それを、実験によって自分の力で解明するというのはすごく楽しいです。
(藤川) 植物と病原体の相互作用では、進化が目で見えるというのは大事なポイントです。我々の祖先が猿人だったって言われてもピンとこないんですけど、イネを育てたら病気になった、じゃあそのイネを改良しましょうと言って人間が改良した、そうしたら病原体がまた進化してまた病気を出せるようになったという感じで、稲作文明が発達してからのそんな長い年月じゃない間にですら、進化が分かりやすい形で目に見える。
特にウイルスは、コロナの時もそうですけど、進化が著しいですよね。
(石橋) ウイルスは、コロナで皆さんよくご存じだと思うんですけど、どんどん進化して宿主に適応していく。人の医学と違うところは、例えばコロナに全然かからない人がいたときに、この人ちょっと解剖してみようとはいかないんですよね。だけど、植物はウイルスに強い植物がいたときに、バラバラにして調べたり、その子供はどうなんだろうとか、いろいろな実験ができる。ウイルスの進化だけではなくて、宿主とセットで調べることができるっていうのは、植物病理学のすごく面白いところです。
(竹良先生) 確かに、進化という言葉を遠い過去のこととしか自分の中の語彙では捉えてなかったので、植物病理学のことを調べてから、そっか、今も起こっているんだっていうのにビックリしました。
(一瀬) 赤かび病の時にDNAで系統樹*5を描くっていうところがありましたよね。すごくよく勉強されているなって思って感心して読ませていただきました。
(藤川) こういう理科の漫画は少ないですよね。
(山内副編集長) 物語として描くのがとても大変なんですよね。文献を調べたり、取材したことを理解して分かりやすく漫画で伝えるのはとても難しいので、題材として挑みづらいという面もあります。本当に竹良さんは求道士というか、いつも嬉々として調べ事をされていて、日本農業新聞も購読されていますし。
(石橋) 調べる時間と描く仕事って、普段どのぐらいの力配分なんですか。
(竹良先生) 今はもう描く方が多いんですけども、連載前に1年ぐらい準備期間があって、その間はひたすら調べていました。本も1回読んだだけだとわからないので、気になったところをノートに書き出したりとかして。こんなに勉強したのは高校生以来です。
でも、さっき山内さんが題材として挑みづらいっておっしゃったんですけど、やってみると、調べるのは難しいんですけど、描いていることが絶対面白いっていう確信があるのは、すごく気が楽なところはあって。逆に全部自分が頭の中で考える人間ドラマだと、これって面白いのかな、世の中的に意味あるのかなって思っちゃうんですよね。この漫画は、絶対描いた方がいいことだって思えるので、そういう意味では助かります。
(藤川) 我々にとっては当たり前のことを客観的に描いてくれているので、読んでいると、専門外の方にはこう見えているのかというような気付きが多いです。
(山内副編集長) 全員がプロフェッショナルのキャラクターではなくて、秘書のクマコが通訳者のような役割を担ってくれるから、読者さんとの間の存在でいてくれることもあるかもしれませんね。今日は、専門家の方がこの作品をどう読まれているのかをたくさんお伺いできて興味深いです。
(藤川) 叶木先生は冷たそうに見えて、めちゃくちゃ優しいですよね。ちゃんと説明もするし、行動でも示してくれるし。学生も見捨てないから、ちゃんとついてきている。
(用語説明)
*1 カンキツグリーニング病:オレンジやみかん等のカンキツ全般に感染する病気であり、果実が熟さず未熟な緑色のままであることから名付けられた。huanglongbing(中国語で黄龍病)やHLB病とも呼ばれる。ブラジルやアメリカのフロリダ等のオレンジ生産地でまん延しており、本病による劇的な生産低下や品質悪化、さらには樹体の枯死や園地の崩壊が起こっている地域もある。この病害の原因は培養が困難な細菌で、ミカンキジラミという微小昆虫が媒介虫となり本病原細菌をカンキツに伝染させる。
*2 サツマイモ基腐病:サツマイモ(カンショ)のつるや葉が枯れ、土中のいもが腐る糸状菌(カビ)による病害。2018年度に国内のサツマイモ産地での発病が報告され、以後国内の様々な地域で発生が確認されるようになった。日本では最近発生したため、一般的な植物病理学の教科書等ではまだあまり取り上げられていない。
*3 植物検疫:植物に有害な病害虫の侵入やまん延を防止するために、輸出・輸入時や国内の植物について病害虫の付着や感染の有無を診断・検査したり、植物の消毒・隔離など行うこと。日本では植物防疫所が中心となって植物検疫が実施されており、日本の「農業」や「みどり」が守られている。
*4 うどんこ病:植物の葉などに「うどん粉」のような白い粉状の症状が発生する糸状菌(カビ)による病害。キュウリに感染する病原体はキュウリうどんこ病菌、イチゴに感染する病原体はイチゴうどんこ病菌、というように植物種とそれに感染できる病原体には組み合わせがある。
*5 系統樹:生物種や系統が共通の祖先からどのように枝分かれして生じてきたか、つまり生物の来歴を模式的に示す図。枝分かれが繰り返されて樹木のように見えるので系統樹と呼ばれる。現代ではDNAの塩基配列やタンパク質のアミノ酸配列の違いを利用して描く「分子系統樹」が一般的で、生物種間や系統間で塩基配列やアミノ酸配列の違いが大きいほど両者の枝分かれ後の経過時間が長いという前提に基づくことで、枝分かれの履歴を推定して系統樹が描かれる。